身についてしまった考え方のくせや習慣は、なかなか変えられないものです。
同じ環境に居続けて、同じ人達と接していると、それはそれで安心感はありますが、何となく惰性で生きてしまっているような、そんな倦怠感に悩むこともあります。
だから人は旅に出たりするのかもしれませんね。
今回はそんな非日常の刺激や、現状の打破を考えている方向けに「ヴィパッサナー瞑想」を紹介します。
10日間みっちり世間から離れて、瞑想という修行をする本格的なものです。
筆者も実際に2017年の10月~11月に参加しました!
実体験をもとにその感想を書いていきます。
世界の見方が変わってくれば、行動や、ひいては人生も変わっていきます。
※あくまで個人の感想です。筆者は瞑想に関して専門家というわけではありません。
誤解している部分もあるかもしれないので、詳しくは公式のHPなどを参考にしてください。
目次
ヴィパッサナー瞑想とは何か?
ヴィパッサナー瞑想とは、インド発祥のもっとも古く伝統のある瞑想法の一つようです。
現地の言葉で「観察する、よく見る」といった意味があります。
自身の呼吸や体感覚をただありのままに見ていく過程で、心を浄化することを目的とします。
いちおう仏教的な流れのなかにあるようですが、瞑想そのものには宗教色はほとんどありません。
宗派や人種、身分などを問わず多くの人にひらかれています。
スポーツ選手や経営者の方でも、日常の中に瞑想を取り入れている方は多いそうです。
ヴィパッサナー瞑想コースでやること
日本では京都と千葉にヴィパッサナー瞑想センターがあります。
日本ヴィパッサナー協会(JVA)というところが運営しており、主催している瞑想コースなどにネット上で参加の申込できます。
はじめての場合は10日間コースがすすめられます。
その間ずっと施設に留まり、戒律やスケジュールを守りながらひたすら瞑想します。
瞑想法はシンプルでしっかりと説明もあるため、あらかじめ勉強しなくても大丈夫です。
私もほとんど初心者でしたが、全く問題ありませんでした。
5つの戒律と聖なる沈黙
コースの期間中はいくつかの「戒律」を守らないといけません。
代表的な5つが
- 生き物を殺さない
- 盗みをしない
- 誤った性行為をしない
- 嘘をつかない
- 酒や麻薬を摂取しない。
です。
また「聖なる沈黙」を守るようにも言われます。
指導者や奉仕してくれる人(ボランティアのような方)以外の生徒同士では会話や身振り、アイコンタクトといった全てのコミュニケーションが禁止されます。
個人的にはそれほどきつくは感じませんでしたが、どうしてもアルコールやおしゃべりが好きだったりする人には辛いかもしれません。
また。コースの期間中はスマホや音楽プレイヤーといった電子機器や、本などは一切預けなければいけません。
外からの情報は遮断され、周りの人との関わりも最小限になるためただただ自分に向き合う日々になります。
施設と食事について
何となく修行のようなイメージがあったので、山奥の簡素な施設で寒風に身をさらしながら・・・みたいなイメージもありましたが施設はとても整っていました。
瞑想ホールや食堂、トイレなどもしっかりとした建物で空調も効いています。
寝る場所もドミトリーですがきれいで、むしろ快適なくらいでした。
食事も「肉・魚・卵」の類は一切出ませんが、普通においしかったです。
全日程の流れと時間割
日本でもかれこれ20年くらいやられているらしく、
各施設によって細かな違いはあるものの、全体的な流れはどこでもあまり変わらないようです。
千葉県の瞑想センター「ダンマーディッチャ」では、
1日目~4日目前半 アーナーパーナ瞑想
4日目後半~9日目 ヴィパッサナー瞑想
10日目 メッターデイ
というような流れでした。
最初の「アーナーパーナ瞑想」は呼吸を観察します。
自然な呼吸とそれに伴う体感覚をひたすら見ます。
それが終わると本番の「ヴィパッサナー瞑想」に入ります。
普段はあまり注意を払わないような微細な体の感覚をありのままに追っていきます。
・・・なかなか言葉では伝えにくいです。
やはり実際に体験してもらっていただきたい。
1日の時間割もきっちり決まっています。
だいたい毎朝4時に起きて4時30分から瞑想。
夜に講話を聞いて9時過ぎには就寝。
決められた食事と休憩の時間以外はひたすらに瞑想。
・・・といった感じです。
瞑想の日々のなかで感じたこと
コースの日々のなかでの心の変遷を簡単にまとめます。
<1日目>
新しいことが始まったワクワクもあり楽しいのですが、体はけっこうきついです・・・。
1日に12時間以上も座る経験はほとんんどなかったので、足やお尻が痛くなってきます。
これは10日もつかと少し不安でした(あらかじめ30分とかでも座る練習をしておくと良いかも)。
<2日~3日目>
座るのは徐々に慣れてきます。・・・が、今度は暇になってきます。
やることはただただ呼吸を観察するだけなので、どうしても飽きて雑念が発してきました。
帰ったら何をしようかとか考えていました、笑。
しかし本当に集中した時は、いまこの瞬間に全ての意識があるような研ぎ澄まされた感じがします。
<4日目>
いよいよヴィパッサナー瞑想がはじまって楽しくなります。
体の小さな感覚を感じてそれを探るのに没頭すると「いつまでも時間が過ぎない・・・」ということがなくなります。
・・・しかしあまり身じろぎしてはいけないため、体は少しきついです。
<5日~6日目>
このあたりになると、生活にもだんだん慣れが生じてきます。
やる内容はほんの少しづつ変わりますが、ひたすら感覚を観る、観る、観る。
ずっと変わらず一定に思えても、自分の心も体もそれをとりまく全ても「無常(常に移り変わる)」なんだとぼんやり思います。
自分も死んでいく存在なんだなと肌で感じました。
<7日~9日目>
この瞑想しかない日々が日常になってきます。
休憩中にぼんやりしていると、コースが始まる前の日々が夢幻だったのではないかと思ったりしました。
みんな自分のことを覚えているかな?笑。
感覚や感情を一歩ひいた客観的な目線で見やすくなります。
自分を縛っている囚われが、少しずつ溶解していくような感じがありました。
<10日目>
聖なる沈黙が解かれて周囲とコミュニケーションをとれるようになります。
無意識にやってしまうくらい自分の感覚を探すことばかりしていたので、やや変な感じです。
瞑想を続けたいという思いもありつつ、外に戻ることが楽しみでもありました。
コースを終えてみて
終わった直後はぼんやりとしていて、外から入ってくる情報の多さにとまどいますが、わりとすぐに慣れました。
コースを通じて強く感じたこととしては、自分はいままで自分の意志や判断で生きてきたと思っていたけれど、ただ暴れる心に突き動かされてきてしまっただけなのかなと思いました。
そんな枷のない獣みたいな心に「無常」の理解と「平静な心」をもって手綱をつけるのが、この瞑想法のようです。
講話などでも説かれますが日常のなかで活かしてこそ意味があるもので、その点では実質的で庶民的なテクニックなのだなと感じました。
まとめ
瞑想というとただ「集中力をあげるためのもの」といったイメージもありましたが、そのさらに先までいくので驚きました。
深く深く苦しみの根底を探っていきます。
私たちは何か辛いことが起きた時、「外」の現実を変えようと躍起になるが、実は問題は心の「内」にある。
繰り返し言われることですが、たしかにその通りかなと思います。
心が濁っていればどんな現実からも苦しみをすくい上げてしまう。
だからこそ内面を観察する「技術」はとても大事だなと思います。
忙しい日々のなかで、目まぐるしく動く「外」の現実のなかでは、なかなか自分を見つめる機会がありません。
そんな「内」の世界にだけ目を向ける貴重な体験となりました。
私はフリーライターという仕事で、不安定ながらも自由がきく職業についています。
定職や家庭をもっていると、まる10日以上空けることはなかなか大変かと思います。
しかしそれでも時間をつくって行く価値はあると感じました。
興味がある方はぜひ行ってみることをおすすめします!
もしこの記事を読んでもっと詳しく知りたいと思ったらこちらをどうぞ。
心境の変化までこと細かに書かれているので、まるで疑似体験しているかのような気分を味わえます!
ヴィパッサナー瞑想があなたの日常を変えてくれることを願って。
明日から本気を出す!
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