頭のなかがSNSの言葉であふれかえってる。
・・・と思ったのが始めたきっかけだったのですが、しばしSNSのない生活を送ろうと思ってTwitterとフェイスブックを1ヶ月やめてみました。
実験生活をなんて言ってしまうと大げさですが、いざやめてみると思いの外感じることが多い。
それだけSNSって心に影響力があるものなのだなと痛感しました。そこでSNSから離れた自分にどんな変化があったのかを、論文形式で綴ってみようかなと思います。
いろいろと書いていきますが、何が言いたいのかを一言でまとめるなら
「ジャンクな情報やインプットの過多は、健全な思考力を奪って、心を静かに傷つける」
ということです。
目次
実験背景(どうして始めたのか?)
はじめに少しだけ自分のことを書きますが、私はライターです。文章を書くことを仕事にしています。
コンスタントに結果を出すためには、いかにして集中力やモチベーションを保つかが大きなポイント。
睡眠、食事、運動など生活全般に気を配っています(アスリートみたい)。
そんなライターから集中力をごっそり奪っていく天敵が・・・何を隠そうSNSです。
さほどSNSは好きではなく、どちらかと言えば疎いくらいでしたが、最近チラチラ見る変なくせがついてしまいました。
やや中毒だったのかもしれません。まあ現代人はほぼスマホ中毒で、そうでない人なんて左利きでAB型くらいレアな人な気もしますが。
しかしライターとしては致命的。
単純に時間がもったいないし、文章の生産性もガクッと落ちます。
「もうこれは思い切って絶とう!1ヶ月!」と思ったのが今回の実験のきっかけです。
実験方法(何をしたのか?)
期間は2018年の4月まるまる一ヶ月。
SNSもいろいろありますが、私はTwitterとフェイスブック以外はほとんどやっていないので、この2つだけ見ないようにしました。
ただ全くもって放置するとメンションされたり、DMもらった時に無視することになってしまうので通知だけは確認します。
それを一日に3回くらいするだけ。投稿やいいねはもちろん、タイムラインも見ません。
実験結果(どうなったのか?)
開始当初は違和感があったのですが、SNSを見なくなると徐々に気持ちや生活に変化が起こりました。
モヤモヤが残る
とくに最初の頃ですが、発信しないと何となく頭にモヤモヤが残ります。考えのメモ帳のように使っていたので、なおさらかと。
ただそんな不健全な感じではありません。
というより、つい3年くらいまでは「見た!聞いた!思いついたらすぐ発信!」が当たり前じゃなかったよな、と懐かしい気持ちになります。
SNSが意識から外れる
2週間くらいたつとSNSのことをあまり考えなくなってきます。
投稿しようとか考えないから写真とかもめっきり撮らなくなった・・・。
実験を開始してすぐの頃はスキマ時間があると息をするようにSNSを見ようとする自分を制していましたが、次第に「あっそう言えば今日は通知見てない」となってきます。
集中力が上がる
SNSを見ることは頭を仕事モードから生活モードにしてしまう・・・ような感覚があります。
仕事前に見ることをやめたことで、冴えた頭で執筆に向かえるようになりました。
別方面のインプットが増える
SNSをやめると確認にあてていた時間が空きます。
電車で移動しているときとか、暇になって驚き。けれどその時間で本を読んだり、自宅だったら映画を見ることが多くなりました。
睡眠の質が良くなる
これは本当に良いなと思うのがSNS見ないとぐっすり眠れる!(気がします)
よく言われますけどやっぱり寝る前のスマホはよくないんですね。
私は瞑想してから眠るのが習慣ですが、はかどって良い感じでした。
実験考察(何を思ったのか?)
SNSのない生活を通じて思ったことは、やっぱりSNSは便利だなということ。
Twitterとかは手軽な情報収集や発信のツールとして、とても優れていると思います。
・・・しかし、しかしながらSNSのやりすぎは心に悪影響がありそうだなという実感もあり。
具体的には、インプットが増えすぎてしまうので
「心にストレスがかかる」
↓
「自意識が肥大化する」
↓
「思考が不鮮明になる」
↓
「行動力が奪われる」
というプロセスを通じて「人の心を静かに傷つけてしまう危険性があるもの」ではないかと思いました。
言葉のインプットをしすぎるとストレスになる
SNSから流れてくる言葉の量は膨大です。文章を読むことは内容や量にもよりますが、それなりに脳のエネルギーを使ってる感じがします。
SNSを解禁してから久しぶりにタイムラインをじーっと眺めたら、なんだか頭がぼんやりと寝起きみたいな感じになりました。
人工物ばかりを見続けることは、刺激が偏って脳のストレスになるのだそうです。
人の脳が生み出した人工物である言葉は、過剰にインプットするとストレスになるのかなーと思いました。
またSNS上にはニュースみたいな客観的事実や楽しいことばかりでなく、個々人の「思い」ときにネガティブなこともぽ~んと流れてきます。
そんな心の揺れもまあ人間臭さで嫌いではないですが、その影響を受けなくはありません。
たとえポジティブな言葉であっても、気分によっては変な焦りを感じてしまうことがあります(あの人は稼いでいるのに、恋人がいるのに自分は・・・みたいな、比較という幻想)。
単なる情報として処理できるのならともかく、感情を揺さぶられてしまいがちな人は危険。
どっぷりと浸かるとエネルギーを奪われてしまう代物に思います。
自意識が肥大化する
いまのところSNSはただ楽しいから使っているだけです。人によってはブランディングやキャラ付けを考えているらしいですが、今のところそれらを意識して発言はしません。
しかしいったん投稿すると、どう反応されるかは気になったりしてしまいます。
SNSの大きな特徴は言うまでもなく、他人からの「いいね!」やコメント機能です。
これがけっこうやっかいで「自意識」や「承認欲求」を肥大化させてしまう、トラップのように感じます。
私はお坊さんの話を聞くのが好きなのですが、SNSは「人から認められたい!」という煩悩を強くするため、あまり執着しないほうが良いと話されていました。
SNSをやめると評価から独立するので、淡々と自分の好きなことや、やるべきことを積み上げられます。
マイペースで進みやすくなるので、集中して勉強したいときなどにはオススメです。
思考が不鮮明になる
SNSはその手軽さに文章を発信できるのが魅力のひとつ。
しかしその分じっくりと練ったり遂行したりされていない「ファーストフードのような言葉」が飛び交う場所です。
言葉は頭でこだまします。ざらざらと言葉を流し込むと、それがくるくる回って頭が人の考えに侵食されるようなイメージ。
実際SNSをやめたらなんか頭が静かになりました。
なにを食べるかで体が作られるなら、どんな情報を入れるかで心は作られるのではないかなと。
そう考えると、インプットに不注意なのは少し怖いです。
SNSで情報を見る時間が減ると、反比例するように自分で考える時間が増えました。
インプットしたことで頭がいっぱいでぼんやりした思考では、そもそも考えるという行為自体が面倒になります。
行動力を奪う
あと個人的に意外だったのは、行動量が上がりました。
これは自分のくせなのかもしれないのですが、SNS上で「これやります!」と言ってしまうと、なんだかそれで満足してしまう自分がいたんですよね。
言ってだけでやった気になる。選んだだけで成し遂げた気になる。それは全く別のことなのに。
頭ではこれやろうと決めても、実際には何もしないという思考と行動の不一致は、人の無力感を増す気がします。
だから自分の目標は人に言わずに、言葉を内に溜める方が力になるのかなと思いました。
ただ「願いは口にするから実現する!」みたいなセリフは非常によく聞くので、この不言実行方式はマイノリティ向きかもしれない。
ただ自分への戒めとして「○○をします!」という宣言でなく、「○○をしました!」という報告を発信するようにしようと決めました。
そして心は静かに傷つく
・・・となかなかネガティブなことを並べました。
SNSくらいでそんなオーバーな・・・と思うかもしれませんし、依存的に使っている人でなければ、それほど悪影響もないはずです。
けれど言葉はそんなに無毒でもない。
ふいに言われた言葉が突き刺さって、忘れられないなんてことは誰にもあるはずです。
なんの警戒心もなく惰性でSNSを使うのは、心を裸のまま嵐のなかで遊ばせるようなもの。
小さなダメージだからこそ静かに、ゆったりと心を壊していくような危うさがあるように思います。
そういう怖さを感じた1ヶ月の実験生活でした。
まとめ(これからそうするか?)
というわけでSNS断捨離生活1ヶ月を通じてのまとめです。
期間を通じてなんでSNSを使うのか、そのメリットとデメリットについて見直すよい機会となりました。
再び冒頭の結論に戻ると
「ジャンクな情報やインプットの過多は、健全な思考力を奪って、心を静かに傷つける」
というのが今回の実験おける実感。
頭と体がスッキリしたように思うので、SNSはなかなか脳のカロリーを使う活動だったんだなと思いました。
SNSをやめると情報のインプットへの意識が変わります。
SNSのみならずYoutubeとかゴシップ記事とかも「これ見ないほうが良くない?」と踏みとどまることも増えました。
余計なノイズがないので、自分の価値観ややりたいことに集中できます。
アウトプットもやたらめったらしなくてよいかなと。
願いをプチプチ小さな風船で飛ばしてしまうと、大きな前進ができない気がします。
などとマイナスなこと書きつつSNSをやめたりはしません。続けます。
ちょっと依存的になっていましたが冷静に考えると、1日に2,3回見るくらいで十分。
適度に距離を取りながら発信したり、みんなのことを知るツールとしてこれからも使っていこうかなという感じでこれからも付き合っていきます。
言葉があふれかえる世界のなかでは、あえて情報から離れて心が傷まないようにケアする。
そんな姿勢も大事なのかなと思った一ヶ月でした。
というわけで筆を置きます。
長文を読んでくださりありがとうございました。
明日から本気出す!
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